人生を輝かせるカラダ学

元・ボディケア講師による女性が、個性・女性を活かして輝いていくためのレシピ

生きるは、息をすること

問答みたいなタイトルにしちゃった。

 

今日は、5月と7月に「死」というものを体験してのお話をしていきます。

 

5月は恩師。

7月は身内。

 

恩師もショックでしたが、身内に関してはより思うことがたくさんありました。

 

 

・その人の人生はどんなだったのだろうか

・生きるって息をすること

・納骨のはなし

 

この3つが、いま、言語化できることかな~。

 

 

【その人の人生はどんなだったのだろうか】

身内の命がそろそろ危ないという連絡がきてから、ふと「私、この人と対話してきていない」「この人のこと知らない」と痛感して、後悔しました。

 

一緒に住んでいたわけでもなく、年に何回もあうこともなかったのだけど、血の繋がった人。

血のつながりということに胡座をたくさんかいているな~と、親との関係に関しても振り返るきっかけになって。

 

血はつながっていても、ココロがつながっていない家族もいるでしょう。

血がつながってからのことは知っていても、その前のその人の人生は知らないこともあるでしょう。(聞かないとわからないものね)

親であれ、なんであれ、「ひとりの人間」。

親は子供が生まれて親になるから、私が0歳だったら親も0歳。

それまでの人生もあるのです。どんな人生で、どんな選択をしてきたのだろうかなんてちょっと気になるのです。

仕事柄、「お客様の歴史」を聞くこともあったのですが、身近になればなるほど、小っ恥ずかしさとともに、「親」としてしか認識してなくて、それまでのこととかひとりの人間としての歴史や価値観ってものを会話してきていないな~なんて思って。

 

「血」ってものに、必要以上に胡座かいていたな~と思うのです。それってね、結局、他との人間関係にもつながってる。

親との接し方は、結婚相手やパートナーとの接し方にもすっごくつながるな~と思うのです。もちろん、それに気がついて、努力している人もたくさんいるし、変えることはいつからだってできる^^

 

 

そんなわけで、話が長くなるのだけど・・・

身内の死に関しては、お見舞いに行く人に「この手紙よんで」って渡して、意識がないのは知っていたけど、手紙を読んでもらいました。

きっと、意識はなくても届くから。感覚的なものだけどね。

謝罪とありがとうを伝えたかったのです。

若い時の話、聞いておきたかった。

伝えようとしてくれたこともあったのだけど、その当時は、ちゃんと聞いてなかった。

その当時の私は、自分に一生懸命でつっぱっていたり、とんがっていたりしたので、「あんたの過去に興味ないよ!」的な気持ちがあったのです。

 

そう、だからね、聞けるときに聞きたいことは聞いとくのがいい。

話せるときに話したいことは話したほうがいい。

大切な存在なのだったら。

 

 

【生きることは息をすること】

身内の命があぶないとなって、お見舞いにいけないかもということで手紙を託したけど、結局、お見舞いにいけたのです。

 

その方の娘にあたる方とお見舞いにいってまいりました。

でね、私たちが病院について1時間後くらいに息を引き取ったのです。

きっと娘がくるのをまっていたんだろうなと思うのです。

昔、一番最初にかっていた犬が亡くなった時、私は外出をしていたのだけど、私が帰宅したら息をひきとったのです。

 

きっと、犬も人間も、死に際を決められるんじゃないかってふと思うのです。(突発的な事故などはどうかわからないけど・・・)

 

 

そんなわけで、「息をひきとる」なんて言葉をず~っと考えていてね。

「生きる」は「息をする」ことなんだな~と思うのです。

お母さんのお腹からでて、息をはき、息を引き取ってあの世へ旅立つ。

 

吐いてすって。当たり前にしていることは、実は奥深い。

呼吸についてもたくさんやってきたし、あらたに深めていきたい観点なのだけど、かなりシンプルでいて奥深い。

置き去りにしちゃ、いけません。

 

「いきる」の「い」は「いのち」の「い」ですしね。

言霊なんかに詳しい人に聞いてみたら、なんかリンクすること教えてくれるんじゃないかな~なんて最近はすっごく思うので、言霊しりたいな~しりたいな~と心の中で叫んでいていたりします!笑

 

 

なんやかんやで、命をかやがかせて生きている人、きっと少ないな~と思うのです。

生きているけど、心が死んでいるというか。

一人ひとりが、輝いて生きていけたらいいな。

なんて壮大な夢は、24歳からなんか思っているのです。

 

 

【納骨のお話】

話がきょうは、いったりきたり、書きたいことを書いております。

最後に納骨のお話。

火葬して納骨する骨をひろいにいくとき(っていっていいのかな)、ついていったのです。

身内の死っていうのに不謹慎だけど・・・号泣しまくったけど・・・

だけど、「骨ってのは見たかった」

 

従兄弟に「ショッキングやから、心づもりしときや」といわれて、「うん」といってみたものの、内心では「ショックさより好奇心がかつ気がする・・・」とおもっていたらやっぱりそうでした。笑

 

骨の現物をはじめてみて、「これが大腿骨か~」とか「骨盤か~」とかねいろいろ観察をさせていただきましたのです。

 

で、橋渡しの時に「これが喉仏です。こちらは、高野山におさめます」って言いはったのですが、なんで「喉仏なん?」という疑問を近くの人にぶつけたものに、「さ~?」って感じだし、いろいろ調べてみたわけです。

 

そうしたら、そもそも喉仏は軟骨だから、火葬したら残っていないそう。

そもそも火葬も骨が残るくらいの温度で火葬しているとか、知らないことばかりでした。

なにごとも知ろうと思わないと、情報はゲットできませんね。

 

さて、喉仏。

これ、消失しているはずなのにあるってどういうこと!?ということですが、首の2番目の骨らしいです。

 

その骨の形が、座禅をくんでいる形にしているそうです。

で、この骨がのこっていると「生前良い行いをした」と亡くなった人を偲んでいたそうです。

 

風習ってのは、面白いものですね。

 

 

なんにせよ、肉体があるから、五感でその人を感じ取れるので、大切な人と五感をつかってコミュニケーションをとっておきたいものです。

・目で見る、目を合わす

・匂いを感じる

・一緒にご飯を食べる、会話する

・声を聴く

・触れる

 

 

そしてね、この日みた夕空は、奇跡でした。

神様が、見届けてくれたのかな

身内が、見せてくれたのかな

なんておもってみたりして。

そして、自然の創造美は、美しいです。

 

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今日は、脈絡もなく、まとまらないんだけど、書いておきたくて。

 

文章も想いもナマモノ。

考えすぎると、死んじゃう。

人間もきっと考えすぎると個性がしんじゃう。

ぜんぶぜんぶ、つながっていくね。